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インドの空港タクシー
正午近くにカトマンズを出た私は3時間ほどでインドの首都デリーに 着いた。さすが飛行機、早い!

インドは全くの未知の国。想像するのはヨガ・カレー・カースト・ 踊るマハラジャといったところか。
で、飛行機を降りて空港に入ると……予想以上にきれいだった。
なるほど、さすが核兵器を作れる国。開発技術はたいして世界に 遅れてはいないのね。

入国手続きをした後、空港から市内に入る為にタクシーに乗るのが 一番いいと、地球の歩き方に書いてある。ただし、前払い式の タクシーに乗らないとぼったくられると書いてあるので そのタクシーを探した。チケット売場を見つけ、ニューデリー駅まで の代金145ルピー支払った。

チケットを持ってタクシー乗り場に行くと

「Are You Japanese ?」

典型的な日本顔にも困ったものだ。ただ、タクシー乗り場でそう 聞かれると嫌~な感じがした。案の定、なぜかタクシー運転手が 交代した。

「こいつら絶対なんかやるな?」

と思って、

「おまえら代わるな。なぜ交代する?」

と文句を言うと、

「いや、元々彼が最初なんだ」

と答える。ま、このタクシーは前金制タクシー。もうお金を払う 必要はないし、ややこしいことしたらもめてやろうと、その タクシーに乗り込んだ。

タクシーは空港を出た。目指すはニューデリー駅。その周辺に バックパッカーの集まるメインバザールがあるらしいからだ。

何やら運転手がしきりに話し掛けてくるが、運転手の交代で 不信感がぬぐえない私は

「英語は苦手なんだ」

と、なるべく会話をしなかった。

車は20分くらい走っただろうか?付近の町並みが近代的になって 来た。今のところインドは貧困さをまったく感じさせない。
予想外の行程にちょっとびっくりしていると、タクシーは 大通りからそれて小さな店の前に止まった。

「ここで旅行の計画をしていきなさい」

運転手はそういって私を車から下ろした。はっは~~ん。そういうことか。
私はカチンときて運転手に日本語でまくし立てた。
あまりの剣幕に小さな店からも人が出てきたが、知ったこっちゃない。
私はニューデリー駅に行けといっているのだ。誰も旅行代理店に 寄ってくれとは言ってない。そのニュアンスが伝わったのか、 運転手は分かったと言って再びタクシーを発車させた。

しかし、すぐに彼はまた道沿いの店の前に止まり、

「ここのじゅうたんは最高なんだ。見て行きなさい。」

とのたまう。おいおい、コントじゃないんだから。もう車から 降りるのもめんどくさかったので車の中からまくし立てた。
車から出ない私を見て彼もあきらめて再びタクシーを発車させた。

前日、ネパールでヒマラヤを見るために睡眠時間の短い私は すごくいらいらしたので、運転手の座席をガンガン蹴った。
日本じゃそんなこと出来やしないが、こっちはニューデリー駅に 早く着きたいのだ。背中を蹴られた運転手は

「暑いね。暑いね。」

と言いながら汗をぬぐっていた。

するとまた運転手は車を止めた。

「今日はお祭りなのでニューデリー駅には行けません。こっからは  歩いてください。」

そこで私の怒りは心頭!さんざん罵ってタクシーを出ると、ドアをガン!
そして荷物を取り出すと、タクシーのナンバーを控えだした。

「何を書いているのですか?」

「うるさい!あんたの会社に苦情出したる!」

「おぉ……」

運転手は何か言っていたが、私はつかつかと歩き出した。重たい荷物を しょいながら道行く人に尋ねるとニューデリー駅までは1キロ程度だった。

ニューデリー駅前では祭りなどなく、車がガンガンに走っていた。
あの野郎……。


~おしまい~


黒い物体
ニューデリー駅前には、バックパッカーの集まる「メインバザール」という 地区がある。私は200ルピー(800円)でここの安宿に泊まることにした。

とりあえず部屋に入ると、なんとボロボロではあるがクーラーが付いている!
クーラー付きの部屋なんて今回初めてだったので、ちょっと嬉しくなって スイッチオン!するとクーラーはガゴンガゴン鳴りながら回り始めた。
しかし、一向に涼しくならない。そりゃ無理もない。昭和40年代のような 超旧式のクーラーなんだもの。ぬか喜びした私は、ちょっと悲しい目をしたまま 荷物を出して、部屋を作った。

一通り部屋を自分風に変え(といっても荷物を出しただけだが)、私は 市内観光に向かった。まずはインド門。これは明らかにフランスの凱旋門の パクリであろう。しかし、それでも雄大にそびえたつ門にちょっと感動した。

門の周りは芝生になっていて、周りには寝転んだり遊んだりしている人々が たくさんいた。その中に猿回しのおっちゃんがいた。
おっちゃんと目が合うと、おっちゃんは頼みもしないのにサルに芸を させ始めた。
「こんなん見たら必ず代金請求してくるんだろうなぁ」
と思い、視線をそらそうとした時、猿回しが使っている小太鼓に興味を 持った。それは手首のひねりだけで太鼓を鳴らす独特の形をしていた。
金龍太鼓というチームに入っている私はどうしてもそれが欲しくなった。
明日にでも探して買いに行こう。太鼓のみんなへのお土産決定!

それからしばらくぶらぶらした後、メインバザールに戻り、自分の部屋に 戻った。しかし、部屋になにがしかの気配があった。

「ん?」

部屋のベッドの上になにやら黒い物体。よく見ると……

突然、物体が動き出した!

「うがぁぁぁぁ!!!」

黒い物体は、日本ではお目にかかれないくらい巨大なゴキブリだった。
私は全身の毛がよだった。ゴキブリはそのままベッドの下に入りこんだ。

「げぇ……」

私はゴキブリが大っ嫌いである。ま、好きな人間の方が少ないと思うが。
しかも丸々に太った500円玉2個分ほどの立派なゴキブリがベッドの下に もぐりこんだのである。私が今晩寝るベッドの下に……。
頭が痛くなってきた。寝れね~よ、これじゃ。しかし、こんなことで部屋を 換えてと言うわけにもいかない。私の部屋はインド同様「準戦時体制国家」 となった。

まず私は日本から持ってきた殺虫剤「キンチョール」を取りだし、 ベッド下に大噴射した。そして荷物周りの床もキンチョールで囲み バリアを張った。続いて、新ゴキブリが部屋に入ってこないように ドア・窓・換気窓すべての出入り口にキンチョール噴射!さらに 蚊取り線香まで炊いた。

しかし、私にできるのはそこまでだった。ベッドをひっくり返して ゴキブリをたたき出し、新聞紙でひっぱたくことなど出来ようもなかった。

「これで死んだはず」

そう信じる以外に道はなかった。

そうして夜になった。どうしても電気を消すことは出来なかった。
恐る恐るベッドに横になった。このベッドの下にヤツがいるのである。
1時間おきに目が覚めた。いや、眠ってもいないんだろう。脳が 閉じない。意識がどこかに残ったまま、目を閉じているといった 感じである。もしかしてヤツらが大量に現れたらどうしよう。
押し迫る不安の中、一夜を過ごした。

翌朝、疲れ切った私がそこにいた……。


~おしまい~


モンキーダムダム
昨晩のゴキブリに精も根も吸い取られた私であるが、気合一発、 再び市内に遊びに出かけた。メインバザールはいつもの如く 活気付いていた。私は昨日見た猿回し用の太鼓を探し始めた。

しかしなかなか見つからない。お土産物屋にはないみたいだ。
こりゃ、見つからないかもしれない。そんな不安が脳裏をよぎる。
すると、タイミングよく太鼓売りの少年が近づいて来た。
しきりに太鼓を買ってくれと言う。しかしそこに猿回し用太鼓は なかった。そこで手振りで猿回し太鼓が欲しいと伝えると、

「オォ、モンキーダムダム!」

どうやら通じたらしい。少年は今持ってくるからここで待っててと いうと、路地を曲がって消えていった。ほどなく彼は戻ってきた。
手には汚い猿回し用の太鼓・モンキーダムダムを携えていた。

「うわ、汚いな」

明らかに中古であった。しかもかなりの中古である。しかし希望の 太鼓が見つかって嬉しくなった。少年は500ルピーと言い張ったが 200ルピーと言うと「それでいい」と去っていった。

しかしその交渉を見ていた別の太鼓売りのおっちゃんが私に 声をかけてきた。

「1時間待ってくれたら、新品のモンキーダムダムを持ってこれる」

彼はそう言った。新品が欲しかった私は1時間後に再び会う約束をした。

しかし今度はその交渉を見ていたオートリクシャーの運転手が 声をかけてきた。楽器屋まで連れていくという。1時間もここで 待っているのはもったいないと思った私は、観光がてらそのオート リクシャーに乗った。

例の如くこのオートリクシャーもじゅうたん屋と旅行会社に寄り道した。
「見るだけ。見るだけ。」
としつこい。睡眠不足もあってだんだん 不機嫌になってきた私であったが、楽器屋につくと、そこには新品の モンキーダムダムがあった。タクシーの運転手はそれを180ルピーで 購入してくれた。さっきの中古より安かったので、さっきぼられたのに 気付いた。ちょっとショックだった。

約1時間くらい市内をぐるりと周ってから、さっきの待ち合わせ場所に 戻ると、太鼓売りのおっちゃんはそこで私を待っていた。見ると、手には 一回り大きなモンキーダムダムを持っている。すでに2つ持っている 私であるが、それも欲しくなった。そこで価格交渉を始め、200ルピーで 購入した。

そして私は3つのモンキーダムダムを手に入れたのである。
喜んで部屋に持ち帰り、そのうち1つを持って町に出た。
数分ほどで鳴らすコツを覚えた。モンキーダムダムは軽快に鳴り響く。
なぜかインド人は太鼓を叩きながら歩く私を見て奇妙に振り返る。
インド人でも猿回しくらいしかこんな太鼓は叩かないのであろう。
多少蔑視の視線もあるのであろうが、そんなことお構いなしで私は 太鼓を叩きながら通りを散歩した。

そして通りの飲み物屋でコーラをもらうと、飲み物屋のにいちゃんが モンキーダムダムを見て、私に話しかけてきた。

飲み物屋「それはどこで買ったの?」

  私   「太鼓屋さんと、楽器屋さんから。」

飲み物屋「いくらだった?」

  私   「200ルピー」

飲み物屋「はっはっは。私なら50ルピーで買えるよ。」

  私   「………」


泣きそうになった。口は開いたまま、閉じることが出来なかった。


~おしまい~


ディパ
朝5時45分、部屋の電話がけたたましく鳴った。予約の運転手からだった。
今日は放浪旅行の最終日。ネパールに予定より長く滞在した私は インドの滞在が短くなり、そこで今回はリッチに運転手付きタクシーを 一日チャーターすることにしたのだ。

眠い目をこすりながら荷物をまとめ、ホテルを出るとそこには頭に ターバンを巻き、ヒゲモジャなインド人運転手が立っていた。
彼の名はディパ。今日一日私の運転手兼観光案内人だった。朝6時、 私は彼とともにタージマハルのあるアーグラーに向かった。

車の中で私は彼と2人きり。最初は緊張したが、ディパは英語が結構 しゃべれたので会話はけっこう弾んだ。彼は36歳。23歳の嫁と1人の 子持ちだそうで、嫁とラブラブだそう。朝一から話題は濃かった。

7時半、朝食を取ることとなった。道沿いのドライブインに入った。
ディパとともに朝食を取るのかと思ったら、彼はレストランには入らず、 外で朝食を頼んでいた。その辺の階級思想はインド人特有のものなの だろうか。ま、日本でもそうか。

10時頃、アーグラーに着いた。ニューデリーからの距離は約200km。
福井~京都くらいある。電車だと連結の都合で日帰りはつらいとのこと。
運転手をチャーターして良かった。

そのままアーグラー城、タージマハルを見学した。それはそれは壮大な 遺跡だった。日本なら姫路城と仁徳天皇稜といったところか。しかし、 この日はタージマハルの拝観料が無料の日らしく、インド人観光客が いっぱいだった。しかもこのインド人観光客達は並んでいる列にすぐに 横入りしやがる。これも文化か……。
詳しい遺跡説明は省くが、5時間ほどの見学時間もあっという間に 過ぎるくらい、見所は多かった。

そのまま3時過ぎにマトゥラーという田舎町に立ち寄った。ここは ヒンドゥ教の神・クリシュナの生誕地らしく、しかも今日はその 聖誕祭だそうだ。ディパは人が多すぎるからやめた方がいいと言ったが そう言われると行きたくなるのが私。ディパと2時間半後に落ち合う 約束をして一人で町をふらついた。

町は……ものすごい混み様であった(写真参照)。インド人の信仰心の 表れか?そんな人込みを掻き分けて、私は沐浴場に向かった。
沐浴場は案外空いていた。みなお寺が目当てだからであろう。沐浴しようか 迷ったが、出来なかった。病気が怖かった。学生時代の私なら頭から 飛び込んでいただろうに。
「歳をとったなぁ……」
ふと寂しくなった。(写真参照)

そのままデリーへ戻った。今日の深夜0:05の飛行機で日本へ帰国である。
ちょっと淋しくなったが、まぁ仕方ない。ディパとともに空港に向かった。

ディパは空港手前のお茶屋で車を止めた。お別れにお茶を一杯おごると 言うのだ。ちょっと嬉しかった。インド人がちょっと嫌いになりかけて いたから。

お茶屋に入ると、5ルピーのお茶(20円)をおごってもらった。
たかが20円。しかし嬉しかった。すると、彼はまずチケットににサインを 求めた。そのチケットを旅行会社に提出して、彼は今日の代金を旅行会社 から受け取るのだそうだ。これは問題ない。私はサインした。

すると、次に別のノートを取り出した。そこには彼が案内した日本人が 書いたらしき一言が書いてあった。みなディパを誉めるような内容だった。
ここに一筆書いてくれと言うのだ。しかし、なんかうさんくささを感じた。
彼はこれを何に使うんだろう?おそらく日本人観光客を誘うときに 見せるのであろう。実際にこんなノートを見せて勧誘してきた悪徳 じゅうたん屋があった。そんな風に使われるのはイヤだったが、ただ単に 思い出ノートかもしれない。そこで
「今日は楽しかった。でも、私を空港に送るまで豹変しないでね。」
と日本語で書いた。

すると、次に私の住所を教えてくれと言い出した。日本に行く時に 遊ぼうと言うのだ。しかし、たかが一日雇った運転手と遊ぶほど 仲良くなってはいない。そこで偽住所を書いた。

書き終わると、私達は空港へと向かった。そしてディパは豹変した。
しつこくチップを請求してきた。

「あなたに私に対する感謝に気持ちがあるなら、あなたは私にチップを  渡すことが出来る」

なんかわけのわからない理由だったが、やはりそうきたか……。
幻滅してしまった。仕方なく100ルピー(400円)ほど渡すと
「もっとくれ!」

と言いやがる。無視すると、今度は私の腕時計を見つけ、

「その時計を思い出にくれ。」

と言い出した。バカ言え、これは大事なタグホイヤーの時計。やれるか。
私はしゃべる気も失せて窓の外を向いた。空港はもうすぐそこだった。

私は気分を害したまま空港に着いた。ディパはなにやら話しかけてきたが もう話す気にもなれなかった。無言のまま、私は空港の受付に入っていった。

所詮インド人にとって、私達観光客は単なる「かねづる」なのである。
インド人が大嫌いになった。


~おしまい~


税関にて
ディパと別れ、空港に入ったのは夜の10時半だった。日本へのフライトは AM0:05。後少しで今回の放浪旅行も終わりである。ちょっと寂しい。
とは言っても帰らないわけにはいかず、出国の手続きをしだした。

荷物を空港カウンターに預け、出国審査をし、飛行機に搭乗した。

午前5時頃、バンコクに着いた。乗り換えである。午前7時、バンコクから 関西空港に向かった。

関空に着いたのは午後3時すぎ。時差で少し頭がボケ気味。しかし、 とうとう今回の放浪は幕を閉じたのである。寂しかったが、早く実家で 深い眠りにつきたい気持ちもあった。

しかし、その前に問題があった。税関である。没収されると思われる物が 2つあるのである。一つは刃渡りが20cmくらいあるネパールの民族刀。
日本国内に持ち込める刀剣類の刃渡りは8cmまでと本に書いてあった。
もう一つはバンコクで購入した海賊版CD-R。違法コピー品の為、 明らかに持ち込みは不可である。しかし、なんとか持ち帰りたい。
そこで当然の事ながらこれらを隠すこととなった。

税関を通る時の私の荷物は3つ。米軍バッグ(大)・背中に担ぐバッグ(中) ・ウエストポーチ(小)である。
私が税関を素通りできる可能性はほぼ0なのは分かっている。なぜなら インド帰りだから。税関が取り締まるのはこういう麻薬が横行するアジア からの帰国者なのである。間違いなく私のかばんは調べられるであろう。

以前、東南アジアを放浪した時はでかいバッグを重点的に調べられた。
そこで今回は民族刀を背中に担ぐバッグに入れ、海賊版コピーはウエスト ポーチの裏に隠した。

そしていざ税関へ向かった。

税関「どこを旅行してきましたか?」

 私「ネパールとインドです。」

税関「日本に持ち込めないものは入ってませんか?」

 私「ないです。」

税関「荷物を調べてもいいですか?」

 私「はい、どうぞ。」

軽々と税関を素通りする団体旅行者の横で、案の定私は呼び止められた。
そして私の荷物は開けられた。あっという間に民族刀が発見された。

税関「これはちょっと大きいですね~」

 私「でもお土産ですよ。武器じゃないです。」

税関「まぁ、いいでしょう。」

どうやら民族刀はOKらしい。ちょっとホッとした。しかし、海賊CDは
ダメだろう。頼む~。見つかるなぁ~。平静な顔をしながら私は祈った。

税関はウエストポーチを開けた。おそらく麻薬が入ってないか探して いるのであろう。
そして奥のポケットを開ける直前に税関はこう聞いてきた。

税関「タバコは吸いますか?」

 私「いえ、吸いません。」

すると、税関の人はポーチを探すのをやめ、
「はい、じゃあ行っていいですよ。」
と私にOKを出した。マリファナ類はタバコを吸えないと 吸えないからであろう。なにはともあれ税関を無事に通れたわけである。
しかし、調べられている時にふと気づいたことがあった。
なぜか背中に担ぐバッグのポケットのチャックが、調べられる前から半開き だったのである。

税関を抜けた後、そのバッグのポケットを調べてみた。

そこに入れていた携帯電話が無くなっていた……。

………

……

思い当たるのは2つ。ディパか、ニューデリー空港の荷物運搬者かである。
携帯なんか盗っても話せるわけないのに……。

ますますインド人が嫌いになった。


~おしまい~


検 査
放浪を終え、うちに帰ると、衣類はすべて殺菌洗浄し、靴は捨てた。
それくらい病原菌に気を使っていた。
怖いのはマラリア菌・コレラ菌・A型肝炎である。

とくにインドは文化的に不衛生な国。道を歩けば必ずうんこを 踏むこの国は最近まで入国の際に予防接種が義務付けられていた ような国である。もし私が保菌者になって、国内にばら撒いたら 居たたまれない。そこで帰国草々、病院で検査をお願いした。

検査の結果……セーフ!

こうして私の放浪は本当に幕を閉じた。