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チトワンを去る時 |
パールフライに満足し、再び席に戻ると、もう1本ビールを追加した。
疲れた体に夜風が気持ちよく、さらにアルコールが私を上機嫌にさせた。
ふと私とラムの会話はネパール語の挨拶のことになった。もっとも有名な 挨拶は「ナマステ」=「こんにちは」である。しかし、私はそれしか知らない。
そこでラムに
「ありがとうはネパール語でどういうの?」
と聞くと
「ダンネバードです。」
と言った。私は覚える為に
「ダンネバード・ダンネバード・ダンネバード・ダンネバード・ダンネバード ・ダンネバード・ダンネバード・ダンネバード………」
と呪文のようにつぶやくと、ラムはにっこりと笑った。
「じゃあ、おやすみは?」
と聞くと、
「ズボラトリィです。」
とラムは答えた。再び呪文のように繰り返す私。
「じゃあ、さよならは?」
…………
………
ラムは顔を曇らせ、私を見つめたまま何も言わなかった。
しかしきょとんとしている私に気付いたのか、
「「またね」は「ペリペトラ」です。」
と言い直した。
そこでやっと気付いた。ガイドをやっているラム。これまでもたくさんの 観光客と知り合ったであろう。しかしどんなに仲良くなろうとも、必ず観光客は 帰るのである。「さよなら」という言葉とともに。
………
……
結局、最後の最後までネパール語の「さよなら」は教えてくれなかった。
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翌朝はカトマンズに戻る日であった。10時のバスに乗るため、私達は 9時に宿を出ることになっていた。朝6時に起きて散歩をしてきた私は 宿前のテーブルに荷物を運び、出発を待った。
朝9時。私達はバス停までの送迎車に乗り込んだ。ラムやクリシュナ達が 見送りに来ていた。出発とともに私は送迎車の窓から大きな声で
「ペリペトラーー!!!」
と叫んだ。ラムは小さく笑った。
~おしまい~ |
運命的な出会い?! |
チトワンからカトマンズまではバスで6時間かかる。しかしあまり苦にはならない。
いつも大阪までの仕入れは高速を使わないので、よく似た時間かかるから 慣れているのである。それに運転しない分、楽である。
-----1時間乗車-----
-----2時間乗車-----
-----3時間乗車-----
-----4時間乗車-----
-----5時間乗車-----
4時過ぎにカトマンズに戻った。タクシーに乗り、この間と同じホテルに 行こうと思っていたら、タクシーの運ちゃんに
「絶対ここのホテルがいいから、行ってみて!!」
と写真を見せられた。写真はすごくいいホテルだった。このままここの ホテルに決めればこの運ちゃんにホテルからリベートが渡るのは知っている。
迷ったが、写真を信じてみる気になって、運ちゃんの言うホテルに向かった。
ホテルは、写真通りのすごくいいホテルだった。それでいて1泊700円。
アジア人は日本人に対してみんなうそばっかりつくから、たまに本当のことを 言われるとすごく嬉しい。
そしてチェックインしようとしたそのときだった!ロビーに座っていた女性が こちらにやってきて、英語で
「あなた……昨日、チトワンにいませんでしたか?」
と話しかけてきた。びっくりしてよく見ると……その子はまぎれもなく、 チトワンでいっしょに民族舞踊を踊った子であった!何たる偶然!これは 神の悪戯か!いや、この出会いこそ運命なのであろう!
いっしょなバスに乗ってなかったところを見ると、ツアー客なのかもしれない。
でも、彼女は一人であった。
驚きを隠しつつも、つたない英語で会話を始めた。彼女もバックパッカー(放浪旅行者)で マレーシア人だったが、彼女の方がずっと英語がうまかった。そして彼女も 昨晩の舞踊のことをしっかり覚えていた。
嗚呼、なんということであろう。バスで6時間もかかる小さな町で出会った2人。
そしてこのカトマンズの小さなホテルで再会した2人。これは偶然ではない。
運命なのだ。赤い糸で結ばれているとはこういうことか。 私は高ぶる気持ちを押さえつつ、
「まずチェックインからしてしまおう」
と、会話を中断して部屋のキーを受け取った。部屋は3階であった。彼女がまだ ロビーにいるのを確認して、荷物を部屋に運んだ。
部屋は、これまた700円とは思えないほどすばらしい部屋だった。風呂場では お湯も出た。これはうれしい。うれしくなってつい荷物を整理しだした。
荷物の整理に10分近くかかってしまった。
「よし。これでよし。」
部屋をうまくまとめた私は再びロビーに向かった。もう5時。彼女を誘って 飯でも食いに行くつもりだった。
ロビーに着くと、彼女は30歳くらいのホテルのオーナーと熱心に話しこんでいた。
なにやらマレーシアの話題で盛り上がっていた。ホテルのオーナーも英語が 上手だった。だが私だってマレーシアに行ったことがある。私は無理やり会話の 中に入っていった。
しかし……
どうしても会話に入っていけない。彼女らの英語が速すぎてついていけなかった。
そのうち彼女とホテルオーナーの間に、赤い糸が見え始めた。
私はとぼとぼと一人で夕飯を食べに出かけた。
~おしまい……~ |
食事の悲しい集 |
放浪の醍醐味と言えばやはり食事。パック旅行の決められた食事ではなく、 ほぼ現地の人達と同じ物を選んで食べられるのが楽しみなのですが、 中には悲しい経験もあります。それをダイジェストで羅列してみました。
<トムヤムクン>
バンコクのスープだけれど、私的にぜんぜんだめでした……。 なぜ、酸っぱ辛いの?このスープ。
<チャー>
ネパールでもインドでも、ことあるごとにチャーが振舞われます。
いわゆる紅茶です。安いしとてもおいしいんだけれど、ネパールの 田舎で飲んだチャーには、底に黒い物体も溶けこんでました。
よく見ると、でかい蟻でした……。
<ビール>
ネパールのビールはなぜかフルーティ。その香ばしさが好きなので、 飯屋ではいつも頼むのです。しかしカトマンズで一度、ビールを 飲んだ瞬間に
「うげ~~~~~」
賞味期限を大幅に切れてて、腐ってました。
<ダルバート>
ネパールの定食です。しかし、たまたまついてたのが臭いヨーグルトと 不可思議なスープだったので、大食漢の私でも3分の1も食べれずに 撃沈しました。
<カレー>
基本的なカレーは水っぽいですがおいしいんです。しかしちょっと 変わったカレーに挑戦しようとしたのが運の尽き。中身も知らずに 見た目で選んで食べてみたら、甘い……。カレーが甘い……。
調べてみると、豆腐カレーに豆カレーでした。
いぢょっ |
買い物 |
アジアを放浪すると、まずほとんどの人が買い物の時に現地人に ぼったくられる。どんなにせこく交渉上手な人間でも、現地の相場を 知らないので、ぼったくられてないと思っていても、案外相場より 上の金額を払っているものである。しかし買い物の度に現地の相場を 調べる為に3~4回も交渉していると、時間と労力を費やしすぎるので 私は安いものを買う時はあまり気を張らないことにしている。
そんな私であるが、カトマンズの街中を歩いていると、上着屋に まったくもって私好みの皮ジャケットが吊ってあった。私はあっという間に 魅せられた。しかし明らかに高そうである。でも通過することが どうしても出来ない。私は、取り憑かれたかのように店の中に入っていった。
店に入ると主人がにこやかに応対した。そりゃそうだ。客なのだから。
彼はまだ若かった。35歳くらいか?で、例の皮ジャケットを指差し 「ハウ マッチ?」
と聞くと、彼は電卓を取り出して16000ルピー(約32000円) と提示した。
「16000!!たっけ~~~!!!」
ネパール人の月給平均が6~8000ルピー。その倍かよ。こりゃ ふっかけてる。よし、ディスカウント攻撃だ。
そして価格交渉が始まった。
私「ディスカウント プリーズ!」
主人「OK」
向こうも慣れたもの。再び電卓をはじき出すと13000ルピーまで 下がった。しかしまだ落ちるはず。納得いかない表情を作って
私「もっと ディスカウント!!」
というと、主人は私に電卓を渡して
「じゃあいくらなら買う?」
と返してきた。ここは思案のしどころ。よし、1万円くらいを 提示してみよう。そこで電卓に5000と打ち込んで彼に見せると 彼はバイバイと手を振って私から離れていった……。
いや、ここで負けてはならない。仕方ない振りをして店から出た。
彼が追っかけてくればその辺りの価格なのだろう。
しかし、彼は追ってくるどころか、いちべつさえしなかった。
なるほど、5000以上はするらしい。
バツが悪かったが、どうしてもそのジャケットが欲しくてたまらない 私は、えへへと笑いながら店に戻っていった。
戻ってきた私を見ると、彼も笑いながら交渉の続きを再開してくれた。
すると彼は10000ルピーを提示して
「ラストプライス」
と言った。ここまでが限界だよ、というのだろう。そもそもネパール人は 真面目で勤勉である。ふざけたふっかけはせず、お店のふっかける値段は 倍値程度ということは経験で分かっていた。後日談ではあるが、これが インド人だと10倍は当たり前なのだからたちが悪い。
なるほど、10000ルピーが正規の値段なのだろう。9800といっても 彼はガンとして受け付けなかった。そこでもう一枚買うと言ってみた。
父へのお土産としても良さそうだったから。高校を出て以来、父にお土産 など渡したことがない。たまに奮発してもバチは当たるまい。
もう一枚買うというと、彼の態度が軟化した。彼は2枚でならと前置きして 17000と電卓で表示した。ここで私は16000と言い返した。
彼はかなり困った顔をしてダメと言ったが、私はじっと彼を見つめて 熱意を込めて16000と繰り返した。
「ふぅ、OK。OK。」
彼はその金額を認めた。私もこの辺が限界だろうと思ったので、それ以上の ディスカウントはしなかった。しかしここからは品物への注文になった。
まず、ジャケットの内側の柄が気に入らないと言うと、彼は
「うちは工場直営だから明日の夕方までに内布を変えます」
といった。なるほど、工場直営なのか。じゃあ、LLサイズも作れるのか と聞くともちろん作れるという。展示されていたジャケットはLサイズで ちょうどだったので、私のはLL、父のはLということにした。
さらに私の分は着丈を短めにしてもらうように注文した。でもその注文 にも彼は応えた。展示品の手直しではなく、全部作り直すというのだ。
その心意気に打たれた。私はにっこり笑って満足した。
しばらくそのまま話をしていると、彼の工場はどうやら東京の卸に、直で 商品を納入しているらしい。
「もし日本でこれを買ったら、あなたの月給が飛んでいくよ」
と彼は笑った。それがリップサービスかどうかは分からないが、 私自身満足しているところをみると、彼はなかなかの接客上手であった。
前金として5000ルピーを渡し、
「それじゃぁ、明日の夕方に取りに来ます」
と伝えて、私は店を出た。
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~翌日~
日中、ヒマラヤ観光をして(雲だらけで見れなかったのだが……) 夕方、その上着屋に向かった。その上着屋はタメル地区という バックパッカー(放浪旅行者)の集まる地域にあり、そこにはその店以外にもたくさんの 店がある。そこで偶然私は、私が頼んだ皮ジャケットとよく似た ジャケットを発見した。形は同じだし、皮もよく似ていた。そこで その店の店員に、そのジャケットはいくらか試しに聞いてみた。
「7500ルピー」
…………
………
唖然とした2秒後に頭に血が上ってきた。7500ルピーだと?!
しかもふっかけているはずのファーストプライスが7500?!
私の怒りは前述の上着屋に向かった。キャンセルしようにも前金を 払ってしまっているので出来ない!こうなったら是が非でももっと まけさせてやる!憤然とした私は駆け足で上着屋に入っていった。
上着屋に入ると、主人は私を見てにっこり笑い、
「ご注文の品が出来てます」
と言った。しかし私はそれどころではない。言葉に怒気を込めて
「他店ではもっと安かったぞ!もっと安くしろ!」
と怒鳴った。主人は最初きょとんとしていたが、どうやら私の 言っている意味が分かってきたのだろう。すると予想外の展開に なっていった。
私はおそらく彼は苦笑いをしながら1枚7000くらいにまでは 下げると思っていた。しかし彼は激怒した。
「そんなはずはない!!」
彼はそう叫んで受け入れない。これと同じモノがこれ以上安い わけがない、と私に詰め寄った。私も負けじと
「だが、同じヤツが6500で売っていた!6500にしろ」
と嘘も交えて応戦する。すると彼の顔は瞬く間に赤くなった。
「じゃあその店に連れていけ!」
彼は叫んだ。よし、望むところだ。彼と私はジャケットを携えて 7500と提示した店に乗りこんだ。
店に入り、さっきのジャケットを出してもらうと、彼は一目見て 反論し出した。彼は自分のジャケットとそのジャケットを並べて
「触ってみろ!」
と叫んだ。触り比べてみると、触り心地が少し違っていた。しかも 皮の厚さも違っていた。私は急に自分の非に気付き、素になった。
彼はまだ激怒しながら、続けて説明し出した。
「安い方の皮はすでに死んでいたバッファローの皮をはいで、 ケミカル加工をしたもので、洗うと色落ちする。私が作った このジャケットは生きている皮を加工してあるので、普通に 洗っても絶対に色落ちしない。少しでも色落ちしたら全額返済する。」
珍客の登場に驚いていた店の店員も、事態を把握したらしく 2つのジャケットを指差して
「この2つは全然違うものだよ。」
と付け足した。私はすっかり素になった。そして自分の早とちりと 無知から来る勘違いに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
衣料品屋な私であるが、皮製品なんて扱わないので、質の違いが 分からなかったのである。
こういう時は素直に謝るのが一番。私は眉尻を下げて、ごめん!と 謝った。頭の前で合掌してもみた。
上着屋の主人もようやく怒りが収まったらしく、ふぅ…と一息つくと 普段の顔に戻った。私達は上着屋に戻った。
どうやらあの激怒の様子からみると、私に対して真っ当に商売したと いうことなのだろう。それにいちゃもんつけられて激怒した感じである。
真面目なネパール人だけに、怒らすと本気で怒る。後日談だが 「地球の歩き方」には、ディスカウントのし過ぎでネパール人に刺された 観光客の話が載っていた。危うく二の舞をするところであった。
私は上着屋に戻ると、残金を払った。ちょっと気まずかったので もう一度謝り、握手を求めると主人はやっと笑ってくれた。
それで私も安堵して、両手に二つのジャケットを抱えて宿へと戻った。
自ら蒔いた買い物珍体験でした。
~おしまい~ |
裕 一 |
海外を放浪していると、よく日本人にナンパされる(笑)。特に私は見たまんま 日本人なので、声を掛けやすいのだろうか?こちらも一人身の放浪旅行。
声を掛けられるととても嬉しい。
それはカトマンズ市内をふらふら歩いてた時のこと。前述の上着屋にジャケットを 取りに行く途中である。
「あの、日本人ですか?」
後ろから日本語で話しかけられた。振りかえると私よりちょっと若目の モテそうな日本人のにぃちゃんだった。海外で日本人が日本人に声を掛けるのは
「しばらくいっしょに放浪しない?」
的な要素があることを感じていた私は、さっそく自己紹介。そのままの成り行きで 晩飯をいっしょに食うこととなった。
(前述の上着屋にも、実は彼が同行していた)
「地球の歩き方」に載っている飯屋で晩飯を食った後、私が愛用している 飲み屋で飲むことに。彼の名は裕一。横浜に住む大学生だった(写真参照)。
これがまたなかなかに話が合う。こういう時は話下手なスナックの女の子と飲む より俄然面白い。盛り上がった私達は私が先日負けたカジノに行くこととなった。
勢いがあるときはすべてうまくいくもの。私はブラックジャックで 先日失った3000ルピー(約6000円)を取り戻し、裕一は裕一で 2000ルピー近く稼いでいた。2人でギャンブルする場合、片方だけが 勝つと気が引けるものだが、2人で勝つと異様に盛り上がる。
「もしかして裕一って、あげちん?」
ばかげた事を考えながら、勝った私達はちょっとリッチにリクシャーでホテルに 戻った。ちょうど明日の朝、私はヒマラヤを望める展望台に行く為にタクシーを 予約していたので、裕一も連れていこうと思ったのである。
旅は道連れとはよく言ったものである。彼がたまたま私に声を掛けてくれた おかげで、旅は予想外の方向へ伸びていく。私のホテルにベッドが2つあったので 裕一は私の部屋に泊まることになった。ヒマラヤ展望台「ナガルコット」への 出発は翌朝4時。今12時半。私達は3時間弱の仮眠を取った。
~以下、「ヒマラヤ展望台」に続く~ |
ヒマラヤ展望台 |
話は前後するが、裕一と出会う前のこと。
(裕一とはこの日の夕方に出会った)
午前9時半。私は現地の旅行会社で予約した「ヒマラヤ展望台ツアー」に 参加した。といっても、旅行会社のおっちゃんがヒマラヤ展望台 「ナガルコット」まで車で往復してくれるというもので(片道1時間ちょい) 私はそのおっちゃんとともにナガルコットに向かった。
11時頃にナガルコットに着いた。ここはヒマラヤを望む展望台。
私の眼前には、大いなるヒマラヤ連峰が……まったく見えなかった……。
見渡す限り雲・雲・雲……。
ここネパールは9月いっぱいまで雨季の為、ほとんどヒマラヤは 見えないのだそうだ。これも日頃の行いか……。仕方なく私は 展望台にある喫茶店に腰を下ろした。
喫茶店の店員が注文を取りにきた。私は朝食セットを頼み、眼前に広がる 雲を恨めしそうに眺めた。
店員が朝食セットを運んできた。そこでここ最近ではいつヒマラヤが 見えたのか聞いてみると
「今朝早くはきれいに見えましたよ」
げっ!まじ?どうやら朝早くなら見える時があるらしい。
ネパールまで来て、ヒマラヤを見ずに帰るのか?こんな疑問が 頭の中を駆け巡る。明日の朝、どうにかして来れないものか?
しかし明日の昼にはインドに出発の予定。もうチケットは取って しまってある。脳内葛藤が始まった。
喫茶店を出て、ここまで連れてきてくれたおっちゃんにそんな話をすると
「そんな時間にバスは出てないし、タクシーだと2000ルピー近く かかるよ。」
とのこと。どうする?悩んだが結論は出ず、仕方なくカトマンズに戻る こととなった。その時、男がこちらに近づいて来た。
「すみませんが、旅行客をふもとまで乗せてってあげてくれませんか?」
どうやらナガルコットの宿の人らしい。私の車にはまだ2人分のスペースが あったので「OK」と答えると彼は喜んで旅行客を迎えに行った。
しかし、どうやら旅行客は昼飯を食ってから下山する流れになったらしく 彼は再び謝りに来た。感じの良さそうなにぃちゃんだったので、二言三言 雑談した。その話の折に
「カトマンズからナガルコットまで往復したらいくら?」
と聞いてみると、
「私の車でよければ1200ルピーで往復するよ」
お、安い! そこで往復しないかと持ちかけてみたら彼は笑って OKサインを出した。じゃあ明日の朝早くにカトマンズまで迎えに来て くれないかと言うと
「OK。じゃあ、明日の朝4時にあなたのホテルに行くよ」
との返事。そこで私は私のホテルを教え、前金として200ルピー払った。
予想外の流れに驚いたが、何はともあれ明日の朝にもう一度ヒマラヤを 眺めるチャンスが出来たわけである。彼の名はジャガットと言った。ここ ナガルコットで若くして小さなホテルを営む経営者だそうだ。
そのまま私はカトマンズに戻った。昼の2時だった。
~そしてこの後、裕一と出会うのである~
翌朝3時45分。外はまだ暗かった。隣では裕一が寝てる。予想外の カジノで睡眠時間が削られたが、それでももう一度ヒマラヤ展望のチャンスが 巡ってきたわけで、私は裕一を起こして身支度を整えた。窓の外に 車が見える。あれだ。私達はホテルを出て、その車をノックした。
……しかし、全然違う車だった。あれ? 時計を見るともう4時を 回っていた。あれあれ? さらに15分待った。彼は来ない。
……やられた……
前金の200ルピー持っていかれた。それ以上に今日ヒマラヤ展望する チャンスがなくなることが一番ショックだった。横にいる裕一も不安げな 顔をしている。こうなったらタクシーで行くしかない。私は近くにあった タクシーを見つけ、その中で寝ている運転手を起こし、ナガルコットまで 行ってくれないかと交渉し出した。
「片道1400ルピー」
寝起きの運転手はぶっきらぼうにそう言った。たっけ~~~~!!!
ちくしょう、足元見やがって!でも仕方がない……。OKと言おうとした その瞬間だった。
オフロードバイクが爆音とともに現れてヘルメットを脱いだ。 ジャガットだった!
「ごめんなさい!雨で遅れました!」
それはまるで「走れメロス」の世界だった。ちょっと感動した。
「だまされたと思って、タクシーで行くところだった」
と言うと、彼はこぶしを握って
「ネパール人は絶対に約束を守る!」
とのたまった。いや、遅刻したのはあなたなんですけど(笑)。 でもまたなぜか感動した。
雨で遅れたと言う通り、バイクで来た彼はずぶぬれだった。そのまま 彼はカトマンズにあるという彼の事務所の車?で私達をナガルコットまで 連れて行った。後で聞いた話だが、彼は最近まで傭兵として働いていて (知る人ぞ知るネパールの傭兵部隊・グルカ兵出身だそうだ) 昨年から家業のホテルを継いだらしい。なるほど、自営業の長男か。
私と一緒だ。
1時間ほどで再びナガルコットに着いた。
でも、雨が降るような今朝。やっぱりヒマラヤは見えなかった。
それでも、不思議な出会いでネパール気質に触れた私の心は晴れやかだった。
~おしまい~ |
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