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トイレ |
バンコクから空路、ネパールの首都カトマンズに着いた。
カトマンズの空港はまるで福井空港に匹敵するくらい、田舎な空港だった。
入国審査もすごく適当。ここなら不法入国する自信が出来た(いや、 しないけどね)。
しかし昨晩朝方までバンコクで飲んでいたせいか、さっきからお腹が痛い。
とりあえず空港で用を足すことにした。
トイレに入ると……洋式だった。いや、ま、それは全然問題ない。
しかし、何かが足りない。何だろう……。
………!
便座がない!
隣も見てみた。しかしそこにも便座はなかった。いや、ついていた形跡もない。
そう、ネパールのトイレには便座がないのだ。これは困った。もう私の お腹の中では核融合が起こり始めている。宿までガマンする肛門力はない。
仕方ない!ここでしよう!
私はずるっとパンツを下ろし、中腰(いわゆる電気イス体勢)で便座をまたいだ。
~登場人物~
うちもも隊長・両腕隊員・ひざ隊員・お尻隊員
うちもも隊長「みんな用意はいいか?」
両腕隊員 「OKです!しっかり壁を支えてます!」
ひざ隊員 「こちらも準備OKです」
お尻隊員 「放出準備完了です。」
うちもも隊長「よし、作業開始!」
~30秒後~
お尻隊員 「ん?ひざ隊員の様子がおかしい?お~い、ひざ隊員?」
ひざ隊員 「…………」
お尻隊員 「あれ、うちもも隊長?!」
うちもも隊長「…………」
お尻隊員 「みんな!どうしたんです?」
うちもも隊員「………まだ作業は終わらないのか?」
お尻隊員 「まだでございます!隊長」
ひざ隊員 「隊長!私しびれてきました!」
うちもも隊員「なにっ!頑張れ、ひざ!あと少しだ!」
~1分後~
ひざ隊員 「……お尻隊員!まだかっ!!!」
お尻隊員 「まだ終わりません!」
うちもも隊長「早くしてくれ!感覚がなくなってきた。」
~2分後~
うちもも隊長「むぅ……」
お尻隊員 「隊長!まだです!しっかりしてください!」
ひざ隊員 「まだか~!ぶるぶる震えが止まらんぞ~」
~2分30秒後~
うちもも隊長「すまん、お尻。もうだめだ!」
お尻隊員 「しっかりしてください!うわぁ、べ、便器が来たぁ~」
ひざ隊員 「まだだ!俺ががんばってやる!」
両腕隊員 「俺もまだやるぜ!」
お尻隊員 「便器がもう……あと2cmです!助けてくれ~」
~3分後~
お尻隊員 「隊長!作業完了しましたっ!」
ひざ隊員 「ふぅ、終わったか。」
うちもも隊長「はぁはぁ……。よしっ!全員退却っ!」
両腕隊員 「隊長!緊急事態発生です!かっ、紙がありません!」
全員 「なにぃ!!!!!」
うちもも隊長「はうぅぅ……どうしたらいいんだ!」
ひざ隊員 「隊長、ポーチにティッシュが入っていたはずです!」
両腕隊員 「分かりました。至急用意いたします!」
~ティッシュ用意OK~
うちもも隊長「よし、ティッシュをお尻隊員に!全員再び電気イス隊形!」
両腕隊員 「ラジャー」
お尻隊員 「OKです」
ひざ隊員 「…………」
うちもも隊員「ん?ひざ?ひざ!?」
両腕隊員 「大変だぁ!ひざ隊員が気絶してる!」
うちもも隊長「うわぁ!墜落する!」
お尻隊員 「うがぁぁぁ!!べ、便器がぁぁぁ!!!………」
両腕隊員 「お尻ぃぃぃぃ!!!」
お尻隊員・殉職
カトマンズの空港のトイレにて。
~終劇~ |
カジノ日記~勝利の方程式~ |
さて、カトマンズでの宿を確保し、町中をぶらぶら歩いた。
それにしても町はすごく小さい。自転車を借りれば半日で街中の名所を 周りきることも出来る。これが首都なのだから、ある意味すばらしい。
町並みはとても落ち着きがあってのんびりとしていた。
観光がてら街を歩くと、なんだかんだで時間は過ぎ、夜になった。
飯を食った後、再び街をぶらぶら歩くといたるところから
「はっぱ・ガンジャ・ハシーシ」
と小さく声をかけてくる。いわゆる大麻のバイヤーである。さすが ヒッピーの天国。しかしあまりそっちには興味は無いので無視して歩いた。
目指すは町の中心にある5つ星ホテル内にあるカジノ。ネパール人は 立ち入り禁止の旅行者専用カジノである。中に入ると、そこはネパールとは 思えない華やかな空間であった。
当然カジノにはあまり行ったことがない私はとりあえず見ていた。
すると制服を着た案内人がやり方を教えてくれた。ま、ルーレットと ブラックジャックくらいは分かる。それにやはり来た以上、参加することに 意義がある!私はルーレットの席に着き、賭けだした。
…………
30分くらい遊んだだろうか?私の手元からは1000ルピーが消えていった。
1000ルピーは日本円で約2000円。円の感覚で言えば所詮その 程度なのだが、ネパール人の月給は10000円前後だから、月給の 5分の1をすったことになる。物価が安いということは素晴らしい。
それにしても、ルーレットというのは100%運任せである。そういう賭け事は 苦手な私は、舞台をブラックジャックに移した。
ブラックジャック。つまりカードの合計を21に近くするゲームである。
これも運の要素が強いが、配カードをストップすることが出来るので、 そこに勝敗の重要素がある。私は席に座りディーラーに参加の意思を伝えた。
「っしゃ!!」
「……ちぃ……」
ブラックジャックは一進一退の攻防であった。1時間近く遊んでも、 私のチップは増えも減りもしなかった。こういう展開は熱くなる!
しかし別に儲けようという意思はない。遊べればいいのだ。
私の手元には2000ネパールルピー分のチップ15枚がある。
(インドルピーで換算する為こうなる。)
そこでふと、とある理論を思い出した。ギャンブル必勝の理論である。
なんかの本にこういう理論が載っていた。
「ギャンブルで勝つためには、負けたら次の勝負は倍にして賭ける事である。 勝敗の確率が2分の1の場合、1000円賭けて負けたら 次は2000円、 それで負けたら4000円、それで負けたら8000円と倍付けで賭けていく。
勝敗確率2分の1で4連敗する確率は8分の1。 5連敗する確率は16分の1。
6連敗する確率は32分の1。そのなかで1回でも勝てば元金が戻ってくるの だから、賭けつづける限り絶対負けない」
なるほど。その通りである。しかもブラックジャックというゲームは勝敗確率は 向こうが勝つか私が勝つかだから勝敗確率2分の1(厳密には違うがだいたいね)。
だから、倍倍で賭けつづければいつかは元金が返って来るわけである。
しかも私の手の中にはチップがちょうど15枚。1枚賭けて負けたら次は2枚、 また負けたら次は4枚、それで負けたら8枚賭けると全部で15枚。おぉ。
4連敗しない限り私のチップは無くならない。4連敗の確率は8分の1か。
まあ、それはないだろう。よし、これでしばらく遊ぼう。
どのみちこのカジノでゆっくり遊びたかった私はこの負けない方法を選んだ。
………1敗
………2連敗
………3連敗
………そして4連敗
1時間近く一進一退の攻防を続けていた私のブラックジャックは、 この「勝利の方程式」によって3分20秒で幕を閉じた。
私はパタリロのように呆けた。
~おしまい~ |
ネパールな奴 |
カトマンズを離れ、バスで6時間。チトワンに着いた。ここは国立公園にも 指定されていて、周り中亜熱帯ジャングルだった。
とりあえず宿を取り、休憩していると、従業員らしい男が親しげに話かけて きた。所々に日本語が入っているのが少しこっけいだったが、話していると 私の英語も結構通じるもので、ちょっと嬉しくなった。
そのうち彼は私の部屋を指差してこう言った。
「この部屋には「もんた」というミュージシャンが泊まったんだよ」
え?もんた?まさかみのもんた……じゃないよね。となると誰だろう?
あ、もんたよしのりか。へぇ~。そうなんだ。
私はなにげにうれしくなった。すると彼は続けてこう言った。
「さらに昔にはイギリス国王が周遊で泊まったこともあるんだ。 ずっと昔だけどね。」
え?マジ?すげぇ!!
さらに彼はこう言った。
「ダイアナ妃も昔お忍びでここに泊まったんだ」
ん?まじ?こんなボロ宿に?
彼の目からはかすかに笑みがこぼれていた。そして私はかつがれていた ことに気付いた。ちょっと恥ずかしかった。
そんなネパール式ジョークだった。
~おしまい~ |
ネパールのサラリー |
チトワンで泊まった宿には5人ほど従業員がいた。その中で上記の ジョーク好きな男、ガイドをしてくれているラム、給仕をしている学生 アルバイターのクリシュナの3人と仲良くなった。
昼下がり、昼食後のひとときを食堂前のテーブルで過ごしていると、 学生アルバイターのクリシュナが話しかけてきた。彼は宿に住み込みで 働いている。いろいろな話を手振りを交えて話していると、ふと、給料の 話になった。
私「君は一ヶ月にいくら給料をもらってるの?」
クリシュナ「900ルピーくらいかな。」
え!900ルピー!日本円で1800円!月給が?!(1ルピー=約2円)
これにはかなり驚いた。ネパール人の平均給料は月8000円程度と 安いのは知っていたが、1800円って……。日給60円……。
クリシュナ「君こそいくらもらってるの?」
私「ネパールルピーで……130000ルピーくらい。」
クリシュナ「!×▲□★!!!」
彼の驚きは言葉にならなかった。そりゃ、そうだろう。なぜか私は 彼に申し訳ない気がした。しかしクリシュナに物価の違いを説明すると 彼も落ち着いたみたいで、すると今度は時計を私に見せた。
クリシュナ「でも、私の時計は日本製だよ♪」
みると時計には「Q&Q」と書いてあった。え?なにそれ?知らんぞ?
しかし、裏を見ると「JAPAN MOVED 」と書いてある。値段を聞くと 800ルピーとのこと。となるとカシオやシチズンよりも格下の無名 メーカーなのだろうか。
しかし彼にとっては自慢の時計なのだろう。彼の1ヶ月の給料分なのだから。
私は彼の夢を壊さないように「いい時計だね♪」と付け加えた。
すると彼は私の時計を覗き込んで
「君のはいくらなの?」
と聞いてきた。私の時計は「TAG HEUER」。10万円である。しかしどうしても それを言うことが出来ず、
「これは父からもらったもので、値段は分からない」
と言葉を濁した。彼はにんまり笑って仕事に戻っていった。
~おしまい~ |
遠い異国のラブソング |
話は前後するが、チトワンに着いた日の夕方4時半頃、ガイドのラム(22歳)が
「チトワンの夕暮れは最高にきれいだから見に行こう。」
と言った。そして私と、いっしょに泊まっていたオーストラリア夫妻とを 連れて、チトワン国立公園を突っ切って流れるナラヤニ川付近へと 向かった。
この川はヒマラヤから流れていて、インドに入るとガンジス川に合流する川。
なんだか感慨深くなって川に手を伸ばそうとすると
「たまにワニが出るから気を付けて」
とのつっこみ。慌てて手を引っ込めた。しかも今は雨季だから深さが20m くらいあるらしい。
私達はそんなナラヤニ川を背景に夕暮れを楽しんだ。
大自然に囲まれ、スモッグひとつない空は赤く焼けて、なんとも言えない 壮大な眺めだった。
~さて、こっから本題~
そうして夕焼けを満喫していると、ラムが私の傍らに座った。そして
「ヒロは彼女がいるのですか?」
と聞いてきた。いいえと答えると
「私には日本人の彼女がいます」
という。え?どういうこと?するとラムは手帳からプリクラを出した。
そこには本当に日本人の女の子が2人映っていた。しかも彼が指差す女性は かなりべっぴんさんだった。驚いて話を聞くと、彼女は昨年このチトワンを 訪れ、さらに今年も再来し昨日までここに泊まっていたらしい。
東京の大学生だそうだ。
(げ、もっと早く来ていれば友達になれたのに……)
と内心思いながら、ラムの話を聞きつづけた。彼は照れながら出会いや 思い出を話し始めた。今はメールのやり取りもしているらしい。
そして真顔でこう言った。
ラム「私は来年日本へ行き、彼女に会います」
私「で、どうするの?」
ラム「……プロポーズしたいのです」
私「!!!」
彼は照れながらも、眼差しは真剣だった。そして、日本語で「I love you」 をどう言うのか教えてくれと言った。私は驚きつつも、
「じゃあ、後で君の部屋で教えてあげる」
と言った。
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夕焼け鑑賞を終え、宿に戻ると、私とラムは彼の部屋に行った。といっても ラムはホテルに居候している身。彼らは8畳程度の部屋で共同生活をしていた。
再びラムと彼女の話になった。私はさっき言われた通り、メモ紙に 「I love you=私はあなたが好きです」と書いて渡した。そしてラムに 彼女の名前を聞くと、彼女が書いたものらしきメモ紙を手帳から取り出した。
メモには「○○ あかね」と書かれていた。そしてメールアドレスは…… 早稲田大学生用であった。
「わ、マジ?早稲田かよ。」
驚き、そしていろんなことが脳裏を駆け巡った。するとラムは
「この間彼女が来た時に、日本のテープをくれたんだ」
と言って私にテープを見せた。テープには彼女が書いたらしき日本語で
「宇多田ヒカル・サーフィス・椎名林檎・等」
と書かれていた。そして彼はそのテープを再生した。宇多田ヒカルが 流れ出した。
相手は早稲田大学生のべっぴんさん。そしてラムはネパールでガイドとして 宿に雇われている居候。どう考えても実る可能性などない恋だった。
しかし彼は真剣だった。来年日本に行ってプロポーズが成功すれば ネパールを離れ、日本で彼女と暮らす覚悟だという。しかも、彼らにとって 日本に行くには年収をすべてはたかないと不可能なことだった。
しかもおそらく彼女は拒否するだろう。
…………
………
……
しかし、私には彼の熱意を否定することなど出来ないし、そもそも2人の 恋愛に口をはさむ権利などない。私は伝えたいすべてをぐっと飲みこんで 彼の目を見た。
部屋には宇多田ヒカルの「FIRST LOVE」がいつもより少し切なく流れていた。
~おしまい~ |
パールフライ |
この日は朝一から川下りをし、ワニと遭遇し、昼からは象に乗って 亜熱帯ジャングルを駆け回るというダイナミックな一日だった。
象乗りが終わって宿に戻ったのは日も暮れ始めた晩の7時半だった。
しかしガイドのラムが
「8時過ぎからネパールの伝統舞踊を見に行こう」
と誘うので、急いで夕食を食って用意をした。
ラムとともに会場に向かうと舞踊会場は結構いっぱいだった。
会場といっても学校で言うなら1クラス分程度の大きさなのだが、 こんな小さな町にも観光客は来るのだと妙に感心した。
そして民族舞踊は始まった。
彼らの舞踊は決して難しいものではなかった。独特のリズムを 叩くが、練習すれば出来そう。言うなれば同好会クラスの舞踊だった。
しかし、なぜか心が踊る。軽快なリズムがそうさせるのか?
舞台も終わりにさしかかった頃、指揮者らしき人物が会場に向かって 手招きをしだした。横のラムに聞くと
「ヒロも行って踊っておいでよ」
という。なるほど、いっしょに踊ろうと誘っているのか。よ~し、 踊る阿呆に見る阿呆。ネパールまで来て踊らない手はない。
私はみんなとともに舞台に上がった。
舞台には元々踊っていたネパールの青年達が10人ほど。そして舞台に 上がった観光客が10人ほど。この20人ほどで輪を作って踊り始めた。
踊りはネパール青年達のを真似た。決して難しくはなく、激し目の盆踊り みたいなものだった。しかし独特のリズムに心が熱くなる。妙に興奮してきた。
すると、ふと、前で踊る人物が女性であることに気が付いた。そして目が合った。
私は目をそらさない。
向こうも目をそらさない。
それは不思議な空間であった。熱く激しいリズムの中で見つめ合う男女2人。
見ず知らずの2人であったが何気にいっしょに踊る雰囲気になっていった。
女性はおそらく日本人ではないが、アジアの顔立ちであった。私達2人は 汗を飛び散らしつつもにっこり笑いながら熱く踊りつづけた。
そして音楽が終わり、そのまま舞踏会は終わりになった。彼女に何事か 話し掛けようとしたが、人込みに紛れて話せなかった。
会場の外でラムといっしょに待ったが、とうとう見失ってしまったみたいだ。
なんだか少し寂しかった。
こういった民族舞踏や盆踊りは、豊作祈願やまじないの他に、男女のめぐり合い の場という意味合いもあるのだと分かった。
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宿に戻ったのは9時半過ぎだった。汗だくのTシャツを着替え、宿前のテーブルに ドッカと腰を下ろした。するとクリシュナがご機嫌を伺いに来たので、ビールを 頼んだ。ネパールの夜空を見上げながら飲むビールは最高だった。
す~~~っ
ん?宿の横の草むらで何かが光った。
す~~す~~~~っ
私「うわっ。ホタル?」
ラム「パールフライです。」
ネパールではパールフライと言うらしい。しかしそれは紛れもなくホタルだった。
しかも5~6匹。草むらの上をチカチカ光りながら飛びまわっていた。
日本ではもうあまり見られなくなったホタル。しかしここネパールには まだ元気に飛んでいた。
私はラムからライターを借りてその草むらの中に行き、チカチカと 点滅し始めた。私の周りを10匹近いパールフライが飛びまわり始めた。
こんなことをしたのは小学生の時に親戚のうちに行って以来だった。
そこにはガイドブックには載っていないネパールがあった。
~おしまい~ |
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