下着専門商社 すててこ株式会社

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電話番号0776-73-5258 〒919-0632 福井県あわら市春宮2-4-22

代表挨拶MESSAGE

代表取締役社長 笹原博之

「笑顔」をお届けする会社を創る!すててこ株式会社代表の笹原です。

24歳で継いだ洋服屋は、経営がうまくいかず、性格が変わるほど苦労しました。事業をネット通販に切り替え、やっと会社が軌道に乗った矢先に、妻をガンで失いました。
笑顔を2回失ったことで、誰よりも「笑顔の大切さ」を知っています。だからこそ、一人でも多くのお客様に笑顔をお届けする会社を社員と共に創っていきます。

社長も社員もまだまだ若く、可能性とバイタリティがあふれる会社です。常に高い目標と意識を持ち続け、常に成長し、進化し、お客様に支持していただけるよう、全力で取り組んでまいります。

代表取締役社長 笹原博之

社長プロフィール

代表取締役社長 笹原博之

代表取締役 笹 原 博 之 1972年6月21日生まれ

経 歴
1988年3月金津中学校卒業
1991年3月高志高校卒業
1995年3月甲南大学経済学部卒業。
大学卒業後、大阪のアパレル会社で婦人服の 商品管理と接客を学ぶ。退社後、半年間の沖縄&東南アジア諸国放浪を経て帰福。
1996年株式会社ささはらに入社
2000年下着・靴下・ストッキングのネットショップ「すててこねっと」出店
2011年9月株式会社ささはら 代表取締役に就任
2014年4月社名を「すててこ株式会社」に変更。現在に至る
趣味・特技
仕事、スキー、和太鼓
座右の銘
成長は人生の醍醐味
社長のさらに詳しい経歴を見る
1995年-1996年 大阪のアパレル会社「CHIC(シック)」入社。
婦人服の商品管理と接客を学ぶ。
1996年 約半年、沖縄&東南アジア諸国放浪
初めての外国が放浪旅行で、日本との生活差に愕然とする。
また、人生にはなんの保証もないことを学ぶ。
1996年 福井に戻り「株式会社ささはら」に入社。
衣料品量販店の商品管理と経営に携わる。
1999年 ホームページ作成に興味を持ち、独学でホームページを立ち上げる。
ささはらの箱庭
2000年 下着・靴下・ストッキングのネットショップ「すててこねっと」出店。
メールのやり取りだけで商品が売れて感動する。
2001年 地元のショッピングセンターを退店し、路面店「暮らし快適衣料館ささはら」を開店
2005年1月 すててこねっとを管理していたパソコンが壊れ、全データ消失。
自暴自棄になり、すててこねっと本店を閉鎖する。
2005年6月 気持ちを切り替え「すててこねっと」の本格運営に着手。
すててこねっと楽天店Yahoo!ストア店と、Yahoo!オークション店を出店。
(Yahoo!オークション店は手が回らず撤退)
2008年 福井県商工会連合会の「経営革新」の事業承認を受ける
2008年9月 「暮らし快適衣料館ささはら」を全面改装し、レディースセレクトショップ「SASA Style Select Store」を開店。量販店から専門店への脱却を目指すが、逆に売上が落ちることに。これにより店舗販売からネット販売重視に舵を切る。
2011年4月 すててこねっと本店」再開
2011年9月 株式会社ささはら代表取締役に就任
2011年10月 すててこねっとDeNA店(現:auPAYモール)」出店。
2012年4月 ゲンキーの藤永賢一社長の経営塾「BBR勉強会」に入塾。
ランチェスター経営戦略を知り、衝撃を受ける。
この日からランチェスター経営を教科書とすることを決意。
2013年 すててこねっとポンパレモール店」出店
すててこねっとAmazon店」出店
楽天2号マミーズセレクト店(現:スクログ楽天店)」出店。ネット7店舗体制に。
2014年4月 実店舗のSASA Style Select Storeを閉店し、ネット専業会社に移行。
社名を「すててこ株式会社」に変更。
2014年9月 長男「笹原一成(いっせい)」が生まれる
2015年1月 BBR勉強会幹事
2015年5月 中国の大連に「大連すててこ商貿有限公司」を設立
2015年11月 中国に「すててこねっとタオバオ(Suteteko淘宝网)」店出店
2017年2月 下着のお悩み解決ブログ「週刊 下着で笑顔」開設
2017年3月 本店サイトをフルリニューアル。あわせて全店舗のデザインも一新。
2017年9月 卸専用サイト「Steteko.biz」を開店

社長に訊く!すててこ株式会社のこれまでとこれから

一度聞くと思わず覚えてしまう「すててこ株式会社」という会社の社長はどんな人物なのか?実際にインタビューして笹原博之社長にお話を伺ってきました。(インタビュアー:荒井直樹)

笹原博之社長
  • 笹原社長は洋品店の3代目として生まれたわけですよね?
  • 祖父が創業者で、私が生まれた頃は両親が店を切り盛りしていました。小さい時の遊び場は店の中で、弟とかくれんぼをしながら父と母が働いているのを目の当たりにして育ちました。祖父から「お前は3代目だ」と繰り返し聞かされ、先生からも「足利幕府も徳川幕府も3代目が要だよ」と言われ、自分でも「跡を継ぐんだ」と洗脳されていましたね(苦笑)。
  • 大学卒業後すぐ店を継いだのですか?
  • 大阪のレディースファッション会社に入り、10年程度経験を積んでから戻るつもりだったんですが、1年で父から「店の経営が苦しいから早く帰ってこい」と言われ、福井に戻りました。
  • そしてすぐ働き始めたと
  • いや、23歳で福井に戻ることに迷いがあって「旅に出ます」と書置きして沖縄に家出しました(^^;。「万座ビーチホテル」で4ヵ月働いた後、台湾、フィリピン、マレーシアといった東南アジアを約2ヵ月間、放浪旅行しました。
  • そこで何を見ましたか?
  • 「貧困」ですね。1996年の東南アジアはまだまだ貧しかったですから。現地の人が泊まる安宿に泊まり、幼い子供が生きるために懸命に働く姿をじかに見て「俺は何を迷ってるんだ」と恥ずかしくなり、ようやく家に戻って商売を継ぐ決心がついたわけです。
    ちなみに、家に戻る時に「タバコくらいやめられなければ、自営業では成功できっこない」と、自己暗示をかけまして、それ以来、タバコは吸っていません。
  • その頃の店の状況は?
  • 200坪の街の衣料品量販店で、ショッピングセンターの2階にありました。「よし、俺の手で大きくしてやる」と意気込んで決算書を見たら経常の赤字が1000万もある。「これじゃ破産する」と、それからは社長である父とのぶつかり合いです。ショッピングセンターはランニングコストがかかるのに、2階の立地では客足は鈍い。お金がかからないように内装を変えたり、商品の陳列を一生懸命工夫しましたが、客足は伸びません。チラシもデザインを外注すると時間もコストもかかるので、自分で作ってましたね。「ここから出なくては」と決意しましたが、共同出資したキーテナントだったので思うに任せない。裁判にまでなって、出資した9000万をチャラにする代わりに駐車場の跡地の契約を解除することで合意し、その跡地に店舗を建てて出たことで決着しました。決着するまでの24~29歳の6年間は暗黒でしたね(悲)。
過去の店舗
  • それで新しい店舗を出したと
  • 2001年にショッピングセンターから退店して「暮らし快適衣料館 ささはら」という衣料品量販店を建てました。もともとが量販店で、路面店になってもお客様がついてきてくれたおかげで、ようやく経常利益がプラマイ0程度になりました。
過去の店舗
  • そのまま店舗展開はしなかったのですか?
  • 赤字体質はなんとか止まったんですが、それ以上は売上も利益も伸びない。ちょうど30代なかばの血気盛んな頃で、我流で突っ走り、「こんな洋服屋にしたい」とフル改装したのが「sasa」です。売上を伸ばすには単価を上げなくてはいけないと考え、百貨店に入るようなブランドアパレルを入れたのですが、これが大失敗。既存のお客様がどんどん離れていきました。お客さんは「この店は高くなった。高いものなら福井市で買う」と思われたのです。それで慌てて元の量販店に戻したのですが、これを契機にネット通販中心に舵を切っていきました。
過去の店舗
  • ネット通販について教えてください
  • チラシの原稿を自分で作るために27歳の時になけなしのお金でwindows98のパソコンを買いました。パソコンの知識は皆無でしたが、夜な夜な独学で勉強していくうちに、ホームページ作りに興味を持ち、個人のサイトを作りました。その時に「あれ?ホームページで商品も売れるのでは?」と直感して、2000年(28歳)に「すててこねっと」を立ち上げました。
  • 下着に特化してですか?
  • アウターを売ろうにも、独学の私では当時のパソコンとデジカメではきれいな画像を作れませんでした。ただ、下着ならメーカーのカタログがあり、パッケージをそのまま写真に撮ってサイトに掲載すればいいと思ったからです。
    初めて注文が入った時は驚きと感動でした。そこから日中は洋服屋で働き、夜は深夜までネット通販を運営する生活になりました。1日16時間くらい働いてましたよ(^^;
  • 順調に推移したんですか?
  • 小さいながらもリピートのお客様がついてくれたりして、順調に伸びたんですが、2005年に、全データを入れていた外付けハードディスクがぱたんと倒れて、全データが消えました。もう、顔はムンクですよ(T0T)。
    自暴自棄になってサイトを半年ほど閉鎖しました。ただ、そのままじゃいけないと思って、なら、本気でネット通販で勝負しようと、専属で2人雇って、楽天とヤフーに出店しました。
    ちょうどネット通販が爆発的に普及する時期と重なって、順調に売上が伸び、店の売上を超えるようになりました。
  • そして38歳で代表取締役に就任したんですね。
  • はい、社長である父と経営の話で意見が分かれ、熱くなって「社長を変わってくれ」と言いました。すると父は「分かった。じゃあ今後はすべて博之がやりなさい」と、スパッと会長職に退きました。
    院政を敷くことなく、趣味の民謡や尺八を楽しむようになり、いっさい経営に口を出さなくなりました。事業承継はその一瞬で決まり、「父、すごいな」と思っています。
  • 実店舗を閉じる決心をしたのは?
  • ゲンキーの藤永賢一社長の「BBR経営塾」に参加したのが私の人生の大きな転機でした。弱者の戦略である「ランチェスター経営戦略」を藤永社長が体験に基づいて具体的に教えてくれるもので「経営の根っこ」について学びました。sasaのように「自分がやりたいことをやる」のではなく「お客様が望んでいることをやる」ということ。ランチェスター戦略は「小さい会社は弱者の戦略をとり、経営資源を集中せよ」というのがエッセンスです。そこで私は実店舗を閉店し、ネット専業の会社に生まれ変わらせる決心をしたんです。社名も創業一族の名前である「ささはら」もはずし、「すててこ株式会社」に変えました。
笹原博之社長
  • その時の心境は?
  • 当時の店舗売上6000万円がすっぽり無くなるのだから怖かったですよ。でも店舗スペースを物流倉庫に変え、物流システムと在庫管理システムを導入したことで、翌年それ以上にネットの売上が伸びたので、経営戦略としては成功だったと思っています。
  • 笹原さんにとって会社とは?
  • 自分にとっては人生を捧げる対象であり、すべてをかけて大きくしたいものです。例えるなら「乗組員がいる船」だと思っています。社員は乗組員、自分は船長で、嵐が吹いても槍が降っても、たとえ全社員に嫌われたとしても難破させず、次の港に導いていくのが私の仕事です。
    船は大きくすればするほど、今まで行けなかったところに行け、見えなかったものが見えるようになります。だから私は会社を大きくしたいのです。船の乗組員ですから、もちろん社員には規律が必要です。規律を守ることによって、女性でも働きやすい場になると考えています。
  • 御社の理念とは?
  • 「下着を通じてお客様に笑顔をお届けします」です。会社はお客様に選んでいただけなければ存在価値がない中で、私たちは「30〜40代の忙しいママを笑顔にする」ための会社になろうと社員たちに伝え、行動しています。
  • 社員にとってはどんな会社でありたいと
  • 働く人にとっての「成長の場」であるべきと思っています。一人ひとりが、能力や人格を向上させる場所で「成長は人生の醍醐味である」ことを心から理解できるステージでなくては。誰だってできなかったことができるようになればうれしいわけで、それこそが「生きる楽しみ」だと思います。
    あと、ここが大事なんですが、成長というのは自分の能力の100%以上つぎ込んだ分が備わります。自分の限界の120%に挑戦して、最初は出来なかったことができるようになっていく。つまり20%分成長するわけです。120%の挑戦がこなせるようになると能力がUPして、それが新しい自分の100%になる。この繰り返しで成長していくんです。
    これは逆もしかりで、楽を覚えて90%で仕事しだすと堕落してその90%が自分の100%スペックになります。堕落のスピードは速いですよ。
    そこで、私はのびしろがある社員、余力があると判断した社員には次から次へと「これ、できる?」と指示します。世間では嫌がられるトップダウンの介入をどんどんやっています(苦笑)。社員がみな若いので、この時期に限界に挑戦させることが大事なんです。
  • リーダーに必要な資質とは?
  • 「率先垂範」ですね。口で言うより実際にやることです。特に会社では社長が一番働かないといけません。私も「年間仕事時間3200時間」を目標とし、毎日の仕事時間を記録してこのページで公開しています。
    家族と過ごす時間の取り方ですか?私は月の半分は朝5時半に起きて、6時には出勤します。午後7時には帰宅し、子供と遊んで風呂に入って10時に寝ます。帰宅後だけですが子供と触れ合う時間もあり、早寝早起きで健康的です。
    あと、テレビはほとんど見ません。
  • 笹原社長の目標を教えてください
  • 個人的な理想は先ほどもお話ししましたゲンキーの藤永社長です。あの方ほど自分に厳しく率先垂範な方は見たことがない。また苦労した経験から得たご自身の哲学を持っていて、それを福井の若手経営者に惜しみなく伝えてくれています。
    会社としての目標は「上場」です。この会社を下着とお客様を結ぶ「社会のインフラの一部」として育てたい。ただ、下着のネット通販で簡単に上場できるほど甘いものではないし、組織もビジネスモデルも今より格段にレベルアップさせないといけない。ですので、そのステップとして、現在「経常利益1億円」を目標としています。
笹原博之社長
  • 社員に対するケアは?
  • 毎月一回、社員全員と1対1で話をしています。当社の社員は各自の「5年後の目標(戦略)」「本年度の目標(戦術)」を立て、その実現のために何をしたか――について月次でチェックする「成長評価表」というものをつけています。
    各自の「戦略・戦術・戦闘」に関して具体的に明記してもらっているわけです。「何年後までに○○の資格を取得する」というものもあるし、「家族でハワイに行く」みたいなものでも全く構わない。各社員は私に月次報告する形で対話しています。全社員の報告を受けるのに丸二日はかかりますが、大事な時間です。
  • 話は変わりますが、人材の採用時にどこを重要視しますか?
  • これまでたくさんの方の採用の成否をしてきた経験をもとにした、私なりの採否を決めるデータがあります。社外秘ですが(^^;;。その一部について言えば、部活での成功体験はわかりやすいです。優勝経験や県の代表になっていたら、成長の喜びについてすぐに理解できますし、部活で部長や副部長をやっていたら、そのグループでリーダーとして認められたということです。
    逆に失敗体験も重視しています。失敗や挫折から何を学んだかです。失敗の体験をしていない方は挑戦していないと考えています。私は社員の失敗は叱責しません。「失敗を恐れて挑戦しないことが一番の失敗」だからです。
  • 競合他社に勝っている点は?
  • すててこねっとの商品コンセプトは「量販品 イズ ベスト」。高いものがいいわけではありません。量産してもお客様に選ばれる「お客様にとってちょうどよい商品」を選んで提案している中で、当社の強みは、お客様に「どういう商品なのか」を深堀りして提供する仕組みが他社よりたけているところです。1000円以下が主力の量販下着通販カテゴリで、商品撮影や商品説明、カテゴリページの作りこみをここまで丁寧にやっているところはほとんどないと自負しています。
  • 下着にこだわる理由は?
  • ネット販売のスタート時点から下着がメインでしたし、今や社名にも「すててこ」を名乗っているくらいです。自分はもちろん会社を挙げてこだわっている商材なのに、他に走るわけにはいきません。逆に下着以外の商材をやめて、下着を際立たせるのがランチェスター経営戦略です。
  • 多忙で大変そうに見えますが?
  • 多忙のほうが性に合っていますし、会社の成長が自分の生きがいになっていますので、むしろ仕事に没頭している感じです。成長をやめることは私にとっては自己否定です。私はベネッセさんの社是「人は一生育つ」が大好きなんですよ。人は死ぬまで育つんです。育つことをやめた時が死ぬときです。肉体的には衰えても精神は常に成長です。70歳を超えても、心はいつも最新最高スペック。これです(^^)
  • いろいろなお話、ありがとうございました
  • いえいえ、社外秘でお願いしますね(笑)
  • ㊥( ̄ロ ̄|||)ナ、ナンデスト!!

講演の依頼について

私は本業に集中するため、現在、講演依頼はすべてお断りさせていただいております。
福井県で2000年からネット通販をしていて、少しは目立っていたので、40歳くらいまでは依頼があれば講演を受けていました。
しかし、39歳の時にランチェスター経営戦略と出会い、「経営には戦略が必要」「選択と集中」ということを学び、
現在は戦略を実行している最中です。そしてまだ、実を結んでいるところにまでは至っていません。

きちんと結果を出して、皆様に聞いていただく価値がある話ができるまでは、講演しないほうがいいと判断していますので、ご容赦くださいませ。

ただ、もし私が講演するとすれば、ランチェスター経営戦略と出会ってから現在に至るまでの流れの説明になりますので、これまでの時系列を書き出しておきます。 
こちらをご覧ください。

M&Aのご提案について

近年、弊社によくM&Aの封書が届きます。また、当サイトのお問い合わせフォーム経由でも頻繁に届きます。
M&Aのご提案に関して、私の考えを書きましたので、M&A仲介業者様には申し訳ございませんが、ご提案の前にご一読くださいませ。

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