北陸経済研究所が発行している「北陸経済研究2026年1月号」に掲載していただきました。
ページの内容は下記の通りです。
企業紹介
「家業」から「事業」へ
失敗を糧に急成長する下着のインターネット販売会社
すててこ株式会社
地域開発調査部 研究員 前田 由美子
概要
所在地 福井県あわら市東善寺9-55
代表者 代表取締役 笹原 博之
創 業 1946(昭和21)年8月
従業員数 69人(2025年10月現在)
事業内容 インターネットでの下着、学生衣料、洋服の販売
自社ブランド商品の企画・製造・販売
金津地区小中学校の制服・学用品の販売
すててこ株式会社は、下着や靴下、ストッキングなどのインナーを中心にインターネット販売を行う、福井県あわら市の企業。徹底した業務効率化で安価な販売価格を実現し、ここ数年、右肩上がりに業績を伸ばしている。2019年に経済産業省「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選出され、楽天市場やYahoo!ショッピングで何度も受賞を果たした。2024年度には売上15億円を突破し、2025年2月には、敷地面積17800㎡の新社屋兼物流センターが完成している。まさに順風満帆に見える同社だが、過去には数々の失敗の経験があるという。今回、新社屋を見学させてもらいながら、代表取締役社長の笹原博之氏に詳しく話を伺った。
笑顔があふれる職場
チャコールグレーの外壁に会社のロゴが配置されたスタイリッシュな社屋の中に入ると、いくつものデジタルサイネージが目に入った。「売上〇万円 昨対△%」「〇時〇分時点 ピッキング完了件数△件」などの文字が飛び込んでくる。リアルタイムでの売上や作業の進捗状況が、全員に見える化されているのだ。
会社支給の黒いTシャツやポロシャツを着た従業員が、パソコンの前や作業スペースで働いているが、印象的なのはにこやかで楽しそうなその表情だ。
物流倉庫は幅80m、奥行き40mもある。この建物ができるまで、同社の倉庫は8カ所に分かれていた。従業員は「鶏飼いの鶏」さながら、出社後は各倉庫に散らばってピッキングし、社屋に戻ってから仕分けと発送を行い、商品を補充するためにまた倉庫に行って棚に入庫する、という毎日を繰り返していた。エアコンのない夏の倉庫は蒸し風呂状態である。そんな環境で働いてくれている従業員のため、笹原氏は3年がかりでこの物流拠点を完成させた。
目指したのは業務効率化と働きやすさ
倉庫を集約することで物理的な距離が縮まり、これまで以上に合理化が進んだ。物流倉庫には商品を保管する独自設計のパレットラックがずらりと並ぶ。ラックに置かれた商品の入った箱の一つ一つには商品番号とバーコードが明記されている。2014年に導入したWMS(ウェアハウス・マネジメント・システム)という物流管理システムで、どの商品がどの棚に何個あるかをすべて把握できる。ラックの間を自由に行き来できるよう、前方・横向き・後方の3方向に移動可能な小回りの利く3ウェイフォークリフトも取り入れた。入出荷棚包スペースには自動梱包機を2台設置。徹底した業務の効率化で、消費者が満足する安価な「すててこ安心価格」は実現されている。
社屋には、会議室、商品の撮影室、学用品に名入れするための作業室のほか、社員用の食堂や仮眠室、休憩用の個室、本格的なマシンを備えたトレーニングルームまであり、至れり尽くせりだ。これまで厳しい環境でがんばってきた従業員のために、笹原氏が工夫を凝らして作ったこだわりの社屋だということが伝わってくる。
勝負をかけた新社屋建設
新社屋兼物流センターの建設のために、笹原氏は10億円を投じている。売上15億円の会社にとって、これはかなり大きな投資だ。当時残っていた借入金4億円と合わせると、金融機関からの借入れは計14億円に増加した。「売上に匹敵する借入金は危険水域なんです。でも、私は過去に経験しているんですよ。この勝負、大丈夫なんです」と笹原氏は言った。
大学を卒業してほどなく実家の衣料品店を継いだ笹原氏が、すててこ株式会社を軌道に乗せるまでの道のりは失敗の連続だった。しかし、そうした経験があったからこそ、今回の勝負に出られたという。
祖父が行商から始めた衣料品店
衣料品の仕事を最初に始めたのは、祖父の重雄氏である。もともと職業軍人だった祖父は、戦争に負けて満州から戻ってきた後、繊維業が盛んだった福井県で「衣」に関わる仕事をしようと決意する。地元の織機屋物を作っている工場から、県服店卸しなどのB反(B級品の反物)を安く買い、祖母と二人で担いで売り始めた。物資が不足していたこの頃、傷が入っていても着られるなら構わないと、B反は非常によく売れた。
10年近く行商を続け、1955年、祖父はようやく店舗兼住宅となる「ささはら商店」を金津町(現・福井県あわら市)駅前通りに建てる。
ちょうどこの頃、日本人の衣服は和服から洋服へ移行していた。祖父がすぐに洋服屋を始めると、呉服に比べて価格が安く、しかも動きやすい洋服はどんどん売れた。
洋服の普及に比例して祖父の店は大きくなっていく。そのうち福井県内では、複数の店が共同で仕入れ、共同で宣伝をすることで、各店舗の経営を強化しようという動きが出てきた。1962年、祖父は「福進チェーン」という協同組合に加盟し、「福進チェーンささはら」を金津・芦原・丸岡に出店する。
1974年には「株式会社ささはら」として法人化した。まもなく、祖父は協同組合が建設するショッピングセンターにテナントとして出店する。しかし、これが苦難の始まりとなった。当時は各テナントが資金を持ち寄ってショッピングセンターを建設・管理するという方法だったため、どんな小さな店にも権利があり、物事を決める際にとにかく意見がまとまらなかった。
さらに問題だったのは、高額のランニングコストである。店はたちまち赤字になり、丸岡店、芦原店は閉店を余儀なくされた。この頃には、笹原氏の父、修武氏が祖父から社長を引き継ぎ、残ったショッピングセンター内の1店舗を経営していたが、店の負担は共益費だけで月100万円以上あり、全く身動きが取れない状態だった。大阪のアパレル会社に就職して間もない笹原氏が父に呼び戻されたのは1996年のことである。
腹をくくって後継者に
幼い頃から「お前は3代目だ」と言い聞かせられてきたため、笹原氏に後継者の自覚はあったが、こんなに早く地元に戻ってくることになるとは思いも寄らなかった。すぐに決心できなかった笹原氏は、福井に戻ってすぐ、書き置きを残して放浪の旅に出る。沖縄の万座ビーチホテルで4カ月働き、そこで資金を稼いだあとは、台湾、東南アジアを巡った。
そこで見たのは貧困である。当時の東南アジア諸国は非常に貧しく、幼い子供も懸命に働いていた。生きるのに必死な人々の姿を見て、笹原氏は目が覚める。「家を継ぐのが嫌だなんて贅沢な悩みだ。どうせ福井に戻るなら、会社を大きくしてやろう。」
家出から半年後、24歳になった笹原氏が腹をくくって戻ってきた先が、ショッピングセンター「エル・ディ」内の「福進チェーンささはら金津店」である。当時の売上は8000万円、有利子負債が8000万円、経常利益がマイナス1000万円。ここから、赤字をなくすための奮闘の日々が始まる。
通販サイトの開設とショッピングセンターからの撤退
とにかくコスト削減第一で、やれることは何でもやった。金のかからない内装に変更して、商品陳列を工夫し、外注していたチラシも自分で制作した。当時普及し始めたばかりのパソコンを使って、独学でホームページを作り、店舗で扱っていた下着や靴下、ストッキングのインターネット販売も始めた。
なぜ下着に絞ったかといえば、メーカーのカタログを撮影すれば簡単にサイトに載せる商品画像が準備できたからだ。
29歳まで踏ん張ったが、どうしても赤字状態からは抜け出せなかった。笹原氏は共益費の高いショッピングセンターから撤退するしかないと考える。別の場所に店を作るにはさらに資金が必要だ。当時社長を務めていた父とも、協同組合とも、もめにもめたが、後継者である自分が保証人になることで金融機関から融資を受けることができた。2001年、笹原氏はついにショッピングセンターを出て「暮らし快適衣料館ささはら」を建てる。
量販店からセレクトショップへ改装するも大失敗
ショッピングセンターと道を挟んで向かい合った場所に建てたため、客はそのまま新店舗に足を運んでくれた。高額の共益費がなくなったことで、月々の赤字は消えた。しかし、何とか黒字になった程度で、大きくプラスになったわけではない。どうすれば売上を伸ばせるか。笹原氏は高単価商品を扱うことで客単価を上げようと考える。百貨店で扱うような有名メーカーの商品を店で販売するのだ。店を町の洋服屋から専門店にするために、今度は約2000万円をかけて「暮らし快適衣料館ささはら」を改装する。こうして2008年、セレクトショップ「SASA Style Select Store」が誕生した。しかし、もくろみは大きく外れ、店の売上はなんと30%も激減する。販売顧客層がそれほど変わらないにもかかわらず高級路線に走ったため、既存の客が離れてしまったのだ。
実店舗を閉め、インターネット販売に集中
そんな失敗も経験しながら、2011年に父から事業を受け継ぎ、笹原氏は39歳で代表取締役に就任する。店舗を「SASA Style Select Store」に改装していた頃、笹原氏はインターネット販売事業にも設備投資を行っていた。2000年から小さく始めていた下着類のインターネット販売は、ネットショッピングの普及とともに順調に伸びており、おかげで首の皮一枚つながった。セレクトショップが誕生した2008年には、ネット販売の売上が店舗売上を上回るようになる。
そんな時、笹原氏はある勉強会で「ランチェスター戦略」に出会う。軍事戦略をモデルとしたこのビジネス理論の中に「弱者の戦略」がある。「小さな会社が生き残るには選択と集中が必要」というメッセージを受け取った笹原氏は、2014年に「SASA Style Select Store」をわずか6年足らずで閉店し、インターネット販売事業に大きくかじを切る。当時6000万円あった実店舗の売上を捨てるのは怖かったが、この決断が功を奏した。
「すててこ株式会社」の誕生
実店舗を閉めたタイミングで、笹原氏は会社名を「株式会社ささはら」から「すててこ株式会社」に変えた。「すててこねっと」というネット上の店舗名と会社名が異なると、顧客が混乱するというのがその理由だ。「すててこ」という名前にしたのは、主力商品である下着をイメージしやすいからだ。
その後、2020年から始まったコロナ禍でステイホームも追い風になり、同社はぐんぐん売上を伸ばしていく。2000年に笹原氏が一人で始めた事業は、いまや従業員数69人の企業になった。
同社で特に目を引くのは、確立された人材育成の仕組みである。笹原氏は早くから自らの会社に合った人事評価制度を独自に整備している。社員が20人までのときは、自らが一人一人と毎月面談をしていたというが、今年からは目標を管理する手法OKR(Objective and Key Result)を中心としたシステムによる人事評価制度に移行した。「電話応対コンクール全国大会」で優秀賞を連続受賞できるような社員が同社から生まれているのも、自身の成長を実感でき、正当に評価される環境があってこそだろう。
次に目指すは、楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー
インターネット販売が軌道に乗り、同社ではプライベート・ブランド商品(PB商品)の製作も始めている。安価なPB商品を作れなければ競争には勝てない。現在全商品の32%をPB商品が占めるが、将来的には50%まで引き上げたいという。次の目標に掲げているのは「楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー(楽天SOY)」である。同社はこれまで、地域貢献度を重視した「ショップ・オブ・ザ・エリア 東海・北陸エリア賞」を3度受賞しているが、次に狙うのは全国規模の楽天SOYにおける「インナー・下着・ナイトウェア」のジャンル賞だ。
笹原氏は言う。「私たちのような小さな会社が拡大していくためには、大企業と同じような戦い方をしても、勝ち残っていくことはできません。でも、強みを発揮できるカテゴリーに絞って勝負すれば、日本一、年商100億円を目指すことができます」。
実際に同社は、楽天市場の子供下着や学用品カテゴリーで1、2位を競い合っている。特定のジャンルでシェアを高め、トップの座を固めることはあながち夢ではない。とはいえ、全国のベストショップに選ばれるのは至難の業だ。高い目標設定と自社の強みをさらに磨き上げて、すててこ株式会社は「通販モール内子供衣類販売日本一」への道を突き進む。
従業員のために会社を大きくしたい
笹原氏は会社を上場したいと公言している。会社を大きくしたいからだ。なぜ会社を大きくしたいのかといえば、それは従業員のためだという。笹原氏いわく、会社は大きく分けると「家業」と「事業」に分かれる。世の中の8割くらいの会社は「家業」で、それは社長のための会社だ。社長は自身に集まる利益を最適化するために会社を経営しがちであり、時に社員は不本意な扱いを受けることもある。一方、「事業」では、経営者と株主は分離していて、そのどちらもが変わってよい。笹原氏がやりたいのは、自分が抜けてもビジネスが成り立つ「事業」。それは会社が、従業員にとっての「成長の場」であり、成長を通じて従業員が幸せになる場所だからだ。株主を入れ替えるためには株を流動させる必要があり、その先に目標としての上場がある。
もっとも辛かった経験を生かして
ショッピングセンターといえば暗黒時代だと聞いていたので、それが答えだろうと予想しながら、「これまでで一番辛かったのはどの時期ですか?」と笹原氏に質問してみた。意外にも「社長になる直前。まだ会社が小さくて、ネット通販の事業を8人くらいでやっていた時ですね」という答えが返ってきた。当時、このうちの3人が他社に引き抜かれて、「すててこねっと」のコピー店舗が作られたという。受注を担当していた3人が抜けたため、受注処理ができなくなり、1カ月間発送ができなくなった。このときが精神的に一番きつかったという。当初は裏切られたという気持ちがあったが、笹原氏はこう反省する。「当時はアルバイト中心の運営だった。経営が苦しくてアルバイトしか雇えなかったんです。正社員の待遇を与えてあげられないのに、核となる仕事をしてもらっていた。これは私の落ち度です。彼らには、“なぜそんなことをやらなきゃいけないんだ”という思いがあったと思います」。
この言葉を聞いて合点がいった。笹原氏がなぜこれほど人材育成に力を入れ、評価制度や福利厚生を整え、従業員のために会社を大きくしたいと言うのか。数々の失敗から多くの教訓を得てきた笹原氏だが、仕事人生で最も辛かった経験も確実に糧としているのだ。しかもその糧は、同社が今後さらに大きく飛躍するための最も重要な原動力を育んでいる。すててこ株式会社が、これからますます従業員の輝く場所になることを期待したい。












