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2012.10.20理恵と名古屋

2019年2月20日、妻の笹原理恵がガンで永眠しました。43歳でした。

2019年2月20日、妻の笹原理恵がガンで永眠しました。43歳でした。

昨年7月にガンが発覚し、すぐに手術をしたんですが、11月末に転移してしまいました。
その後、抗がん剤で治療を続けたんですが、若いからか、ガンの進行が速く、2月20日にその生涯を終えました。

妻のガンが発覚してから、亡くなるまでを詳細に書きつづった原稿を書いたのですが、その原稿はとても悲しく、書いている途中に思い出して何度も涙しました。

それで、読んだ方が悲しくなるようなものをネットで公開すべきではないと思い、詳細原稿を載せるのはやめておきます。抜粋だけ掲載します。

~以下は抜粋~

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妻は闘病中も決して、弱音や愚痴を一言も言いませんでした。
本当に一言も言いませんでした。

家族や友達を心配させない為か、本当に普段通りで、抗がん剤治療が始まった12/3に入院したんですが、おりしも、翌12/4は結婚記念日、12/5は理恵の43歳の誕生日。

誕生日の日、理恵は

「こんなん、誕生日としてはノーカウントやわ。私、まだ42歳。」

と、笑いのネタにしていました。

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手の施しようがなくなり、余命が短いことを医師に告げられた時も

「そうですか。わかりました。」

妻は、取り乱すことも、泣くこともなく、淡々とそう答えました。母もガンで亡くなり、それを見てきて達観していたのか、淡々と運命を受け入れているようでした。

最後の夜、二人の時に

「痛みはどう?MAX10としたらどれくらい?」

と聞きました。

「1か2くらい。あんま痛くないよ。」

とのこと。

「私と結婚して、一番思い出に残っているのはなに?」

と聞きました。

「あなた、出産の時、私の枕もとで太鼓のリズム叩いたでしょ。あれ。」

「そ、それが一番の思い出?楽しかったことは?」

「う~ん、今は思い出せないな~」

「ないんかーい!」

「でも、ずっと、ずっと楽しかったよ。」

この一言で、救われました。

私はずっと仕事ばかりして、ぜんぜん旅行とかに連れて行けませんでした。
自営業で一緒に働いていたので、妻も休みが人より少なかったです。
それでも、私のことを気遣って「ずっと楽しかったよ。」と。

そんな心優しい妻でした。

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鎮痛剤のおかげで、それほど苦しむこともなく、私や家族や親族、友人が見守る中、2019年2月20日12時13分、妻の笹原理恵は永遠の眠りにつきました。
享年43歳でした。

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2004年12月4日結婚式

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この記事を書いた人

笹原 博之

すててこ㈱代表取締役。会社の方針や採用の話、雑記を投稿しています。下着、靴下、ストッキングのバイヤー歴20年以上。下着通販サイト加速中。 プロフィール